自分を褒めているかな?
久しぶりに友達と大声でさんざん話して、
楽しかった土曜日の午後、、、
ふと、
通話のボタンを押した後、
友達と私の共通点を見つけてしまった。
こんなに全然違うふたりなのに
(既婚かどうか、地元暮らしかどうか、働いているかいないか・・・私と彼女は全部違います)
よくよく考えてみると、二人とも
「自分を大切にできていない」
という点で同じかなーと思いました。
私自分を大切にできてないなーと感じます。
なぜって日々の小さな幸せを、大切にできていなかったから。
日々の幸せや、たわいもないおしゃべりって本当に大切ですよね。
周りとのつながりを大切にしたいという、女性なら、なおさら。
なのにおしゃべりできなかった。
コロナっていうこととは電話は関係ないのに。
大切なのは自分自身 でしょ~っ!?
大切なのは 自分の気持ち。
自分をちゃんと満足させられているかどうか。
体って正直だから、心が風邪ひいていると
そんなときてきめんに「自分大切にできていないぞ~っ」と訴えてくるから、
心の風邪を我慢していると、すぐにわかってしまうのです。。。
私は肌にでてきてしまう。
電話の彼女も、自分らしさや自分の良さ、いっぱいいいところがあるのに
それを感じることができずに
自分を責めていたみたいです。
私たち二人とも立場は違うね。しかし同じことで悩んでいるよな。
自分を大切にできてない、という点でいえば同じだな。
自分を許す これに尽きるそうです。
自分を大切にするには、許す・・・しかない。
自分を罰しない。
許してあげること。
でもこれがかなり難しい。
相談しに行ったり、病院に行ったりします。
それでもなかなか、、、ねえ。
昔・・・親は私を大切にしてくれていたと思います。
それは一般的な「大切にする」とは、微妙にずれていたように思う。
親も不器用だったから。
お金さえあれば大切にできると思っていました。
だからお金を沢山やる。投げるようにやる。
子供と向き合うのはめんどうくさいから、
病気になったときだけ親切にするとか、病院に連れていく。
病院や行ったこともない場所など、色々な場所に連れていくのが「大切にすること」だったんでしょう。
ちょっとおかしい話。
「大切にする」のはお金でもないし、旅行やあちこち飛び回る経験ではないと思う。
親も大切にすることをはき違えてたんでしょう・・・(-_-;)
子だくさん貧乏体験→金があれば幸せ子供いらない
ずっと家にいた鬱屈→どこにでもいける自由が幸せ
↑これは親の考える幸せ。本人の幸せとは違う。
将来役に立つかもしれない、何かを話して聞かせること・・・伝えることや、
生活のあたりまえの繰り返しの中にある退屈な日常を共有する時間や体験。そのもの。
そんなものが積み重なって、「一緒に暮らした」こと・・・
(記憶)・・・につながるんじゃないか。
それが大切にされたっていうことなのかもな・・・
そんな気がします。
私は親から与えられたそんな時間ばっかりだったけれど、
子供にはそれはしなくていいのじゃないかなと思う。
お金で好きなもの買うばっかりとか。
好きな場所に行くだけが幸せじゃあないよなあ。
なんでもない日常を大切にしたい。
ここにいま、生きて住んでいることだって、ほんとは素晴らしいことだよなあ。
今は心底思います。
自分を幸せにしてあげなきゃ~って。
記憶の中にいる自分を罰する自分も、記憶の中にいた親も、自分を大事にしてくれない。思いっきり愛したり愛されたりされていない。
ならば、自分が自分を大切にしてあげなきゃあ。
自分が自分の一番の味方で、いたいですよ。
前置きが長くなったけれど、自分を褒めること。
それ、やってみようか・・・と思いました。
誰かに褒められるのも悪くないけど、一番は自分で自分を褒めて認めること。
それが大切だよね。。。
いろんな親孝行、世の中にあるけど、、、、
親が最終的に望んでるのは いつだって「子供が心から幸せと思えてるかどうか」
だと思うの。まあ子供作れとか、結婚しろとかも言われるかもしれんけどさ、、
心の奥の方はさ、 生きててくれ できれば幸せであってくれ
それだと思うよ。。。
だから大切にしようよ。自分で。
親友(笑)!お互いにね!!
読んでくれてありがとうございました。